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龍馬さんへの手紙
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Tue 14 , 19:27:31
2024/05
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Sun 11 , 17:43:25
2010/04
   ノミネート(3)浦臼小学校6年 山越拓也

  はじめまして、私は北海道の中心部の浦臼町と言う町の浦臼小学校からこの手紙を書いています。

竜馬さんは色々すごいことをしたと学習しました。竜馬さんはすごいことをした人だけど少しぐらいは困ったり、悲しかったり、泣いたりしたことがありますか?そういう経験があるから、そこまですごいことができただと思います。

 竜馬さんは新しい物が好きらしいですね。ぼくは、中古とかしか買ってもらえません。ぼくの予想ですが、昔はとても大変だったと思います。今はゲーム、エアコンなどがあります。今となってはとても便利な時代です。今の時代では、争いと言う言葉が消えつつあります。坂本竜馬さんの時代では争いはいたる所でやっていたと思います。しかし、まだ争いが完全に消えたわけではありません。坂本竜馬さんなら完全に争いを消すことができたかもしれません。

 すこし話を変えますが、坂本竜馬さんは薩摩藩と長州藩を結びつけたそうですね。すごい仲の悪いのだからかなり結びつけるのに時間がかかったと思います。それを結び付けるなんて、やっぱり坂本竜馬さんはとてもすごい人だとつくづくおもいます。

 さらに話はかわるのですが、どうして坂本竜馬さんにこの手紙を書いているかと言うと、ぼくたちと坂本竜馬さんは少しですが、つながりがあるのです。この浦臼町には坂本竜馬さんにかなり関係のある人のお墓があるからです。

ほかにも浦臼小学校には坂本竜馬さんの絵があります。その坂本竜馬さんの絵は、ぼくらの浦臼の宝物だと思います。これからも坂本竜馬さんのかかわりのある人の墓や坂本竜馬さんの絵をぼくたちは大切にずっと守っていきたいなと思います。

        北海道浦臼町立浦臼小学校6年1組  山越拓也

 【龍馬返書】

お手紙ありがとう。北海道は私が浪士達を連れて入植し、開拓を夢見た大地です。

拓也君の学校には私の肖像画があるそうですね。そして君はその絵をずっと守って行くと約束してくれました。ありがとう、よろしくお願いします。

 拓也君は私に困ったことや、悲しかったことはなかったか聞いてくれました。きっと、人の気持ちが分かる優しい少年なんだ。君が気付いたように、薩摩と長州を連合させるという難事、私も無我夢中で取り組み、周りの人々の協力があってはじめて実現した訳です。その途中では、どうにもならない両者の言い分の違いにはほとほと困りぬいたり、一緒に苦労を重ねた同志が非業の最期を遂げるなど、はらわたの千切れるような悲しみに耐えなければなりませんでした。

 平成の時代に生きる君たちは、まず恵まれた生活に感謝し、守り育ててくれるご両親とみどりの大地に感謝する気持ちを忘れないようにお願いしますよ。

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Sun 11 , 16:42:30
2010/04
 ノミネート(2)栗真小学校6年  瀬川怜奈

    龍馬さんへ

  龍馬さんのことは、一度本で読んだ事があります。

 龍馬さんは、いつも時代の先をよんでいたというのは、すごいなと感心しました。

私はお父さんと将棋をした時いつも負けてしまいます。するとお父さんはこう言います。

「先を読め」って。先をよむ事はすごく難しい事だし、私には、どういう意味か分かりません。だけどそれをしていた龍馬さんは、すごいと思います。

 私も、これから先をよむ事を少しずつ理解し、最後は、自然に先をよめる龍馬さんのようになりたいです。

                     瀬川怜奈

 【龍馬返書】

お手紙ありがとう。まずは、書かれた文字の美しさと、作法に叶った原稿用紙の書き方に感服。お父さんとの将棋で、先を読めと教えられたことが、時代の流れを読む事に繋がると理解出来るだけでも、立派なものです。

勿論、私が自然に先を読むなど出来た訳ではありません。

大久保一翁様を始めとして、あらゆる新知識の方々をお訪ねして教えを乞いました。そして得た情報を基に、次に成すべき事を考えたのです。

 

Sun 11 , 16:39:31
2010/04
 ノミネート(1)浦臼小学校6年1組  山田夏奈 

 坂本龍馬さんへ

 はじめまして龍馬さん。私は北海道の札幌から1時間ぐらいのところにある浦臼町というところの浦臼小学校にいる6年生のやまだ夏奈です。

 私は、社会の歴史で習った龍馬さんの印象が強かったです。なぜ印象が強かったのだというと、薩摩藩と長州藩を結び付けて江戸幕府をたおそうと考えたのが、勇気があってすごいなと思いました。

  でも、私はもう一つすごいと思ったことがあります。それは、日本で初めて株式会社を作った人。日本で初めて新婚旅行に行った人ということでも私はすごいと思いました。

なぜかというと、龍馬さんがもしいなかったら、今は、株式会社がなかったかもしれないし、いつ龍馬さんが新婚旅行に行ったことも、龍馬さんがいなかったら、新婚旅行に行く人もいなかったかもしれません。だから、私はそんなところもすごいと思いました。

 まだまだたくさん云いたい事はありますけど、あと一つだけ言いたいことを書きたいとおもいます。

実は今、日本全国で龍馬さんが流行っていてブームです。そこで今、テレビで龍馬さんの人生をえがいた大河ドラマの『龍馬伝』が放送されています。

それに、私達の小学校には龍馬さんの肖像画があります。なんと、その肖像画は日本で一番龍馬さんに似ているということで、いろんな所に貸したりしているそうです。

そんなつながりが龍馬さんとあるということは知らなかったので、知った時にとてもうれしかったです。そのつながりのおかげで私達は新聞におれたり、この手紙を書くこともできました。

  最後に質問をしたいと思います。

まず、一つ目の質問は、株式会社を作ったきっかけは何ですか。二つ目の質問は最近龍馬さんが流行っていてブームですが、そのことについてどう思いますか。質問はこれでおわりにしたいと思います。

そして、この龍馬さんへの手紙を終わりにしたいとおもいます。

 【龍馬返書】

お手紙ありがとう。北海道は私が浪士達を連れて入植し、開拓を夢見た大地です。その地で、今は君達のような元気な子供たちが育つまでになったんですね。

朝日新聞に大きく写った写真は私も拝見しました。夏奈さんはどの位置にいましたか。

 ところで、幕府は放っておいても斃れる所まで機能が麻痺していましたね。私はむしろそんな幕府を一度解体して、なお徳川を中心にした新しい政体を生みだすべく尽力したつもりです。夏奈さんが仰る最初の株式会社ということも、亀山社中が自立するために薩摩藩や有力商人達の助けを受けた形態が株式会社の魁(さきがけ)と言えないこともない程度のことです。ましてや、新婚旅行は交通機関の発達とともに自然と盛んになったに違いありません。

 あなたの学校にある肖像画を通じて私の事を勉強し始めたとのことを知って、とても喜んでいます。これが、一時の流行でなく、何時までも続けて下さることを願っています。

Wed 07 , 16:45:52
2010/04
 第一次選考会を某日某所某メンバーで開催した。
大賞候補ノミネートとして5作品に絞り込む。
残念ながら、中学・高校部は水準的に取り上げる作品は見当たらなかった。
小学生部門は学年参加を頂いた津市立栗真(くりま)小学校6年生21通と北海道浦臼小学校6年北の龍馬たち15通を中心の選考で、甲論乙迫となり、第一次の段階で早くも難しい仕事であることを痛感した。
当日の手紙朗読の順番からして悩ましい。
一方、一般の部は種々様々で、どこに基準をおいて良いのか、5作品だけに絞っていいのかまで考えさせられる。
大賞ノミネート作品の他に、アイデア賞、素晴らしいで賞、ナニコレ賞などを設けることになりそうです。



Tue 06 , 10:44:55
2010/04
 拝啓 龍馬様
一筆啓上仕候と書きかけて、さて龍馬さんはこの一筆啓上仕候で始まる手紙を何通書いたのか気になり、宮地佐一郎先生編の「龍馬の手紙」を開きました。結果11通を確認。これは、現在知られている手紙総数139通の1割弱にあたります。
そのうちの5通が、父八平と兄権平宛の手紙の書き出しとなっています。
二男と云う厄介の身としては乙女姉さんへの手紙のように自由閣達には書けなかつたんですね。そのうえ、この書き出しで始まる文は、どこかシャッチョコばって堅苦しい。
重要な節目に差し出した手紙だからでしょう。
 
一方、この神戸の地からの手紙は有名な「エヘン・・・」にしろ「洗濯・・・」にしろ故郷の皆に精一杯自分の活躍を誇る言葉が躍つています。実は私の親父も故郷土佐に向けては逆とんぶりするほど見栄を張つたものでした。帰郷の際のお土産の多かったこと、私達の身なりも坊ちゃん風に整えてのことでした。
そう故郷に錦を飾りたいがは、何時の時代も変わりゃせん。

さて、この平成維新とも言うべき政権交代が実現したものの、半年を待たずして、はやくも鳩山政権の迷走止るところを知らず。政権メルトダウンの様相を呈してきました。
そして、巷には龍馬さん、あなたの再来を希う声が満ち溢れています。
それは、薩長同盟、亀山社中、船中八策等の事跡がもたらす英雄としての貴方の再来を望み、この時代、龍馬さんがおればなんとしただろう、何をしてくれるだろう、どんな方向を差し示してくれるだろとの切なる願いからに違いありません。もちろん自身龍馬の如く生きることを願う若者も数多。
 
そんな時、私は貴方が旧友溝渕広之丞に宛てた一通の手紙が気になってしかたがありませんでした。
それは世に「龍馬の存念書」と云われる文書で、後藤象二郎との清風亭会談直前に、心中を溝測広之丞に披歴した、龍馬さん貴方の本心を語つた唯一の手紙ではありませんでしたか。
何故、龍馬さんが仇敵ともいえる後藤象二郎と手を結び海援隊結成に動いたのか、その際の、それまでの、龍馬さんの胸中を推し量れる一通と思っています。
原文では読みにくい年代の方もおられることから、津本陽先生の現代語訳を引用します。
 
『先日お耳にいれた私の志を、ほぼこの書状にしたためましたので、ご覧下さい。
私は二男で、成長するまで兄のもとにいました。江戸に遊学したころ、君恩に酬いるために、海軍に志があったので、藩庁に乞い、一生縣命に操艦術を身につけようとしてきました。
しかし才能に乏しく知識は浅いうえに、常に困窮し、資材に不自由したために、単身孤剣を抱き、奔走するもすみやかに成功しませんでした。
しかし、ほぼ海軍のかたちをととのえたのは、貴兄の知るところです。
数年来東西に奔走するあいだに、しばしば土佐藩の上士たちに会い、知らぬ顔をして通り過ぎました。
人として父母の国を思わないものがあるでしょうか。望郷の情を耐え忍んで故郷の人にも  気付かぬふりをしたのは、情のために道を踏み誤り、宿志を遂げられなくなることを、おそれたためです。
志を達することが出来なければ、どうして君公の御顔を拝することができましょうか。
これは私が浪人として天下を往来し、仕官することなく、半生の労苦を辞さないところです。
貴兄は私をかわいがつてくれるので、ここに日頃の志を述べるところです。お察し下さい。』
 
 この龍馬さんの言葉どうり、脱藩者は僅かな同志と連絡をとりあい、いつ命を落とすかも知れない浮浪の生活を送り、大半は戦場で死ぬか、路傍で倒れました。本当に多くの友人知己を喪なったその悲しみに耐え、なおそれを乗り越え、『それハそれハおそろしい義理というものあれバこそ、ひとりのをやをうちにをき、玉のようなる妻ふりすて、ひきのようなるあかごのできたに、夫さへ見ずとおけいとハ、いさましかりける次第なり。』(慶応2年1月20日池内蔵太家族あて。原文ママ)と池の家族に諭す手紙を書いている龍馬さんの覚悟。
皆さんはその存念を知っていましたか。
そして、今どれ程の人々がこれ程の覚悟を背負うことが出来ることでしょうか。
本当に、その覚悟が有るのか無いのかと龍馬さんから厳しく問われている手紙に思えます。
 
この度の龍馬甲子園2010の「龍馬さんへの手紙」一筆啓上仕候と書きだしながら、以上のことを考え始め、精一杯筆を進めましたが、ここに感極まり、書き続け難く、これにて失礼いたします。
                                                                 ペンネーム   神戸龍馬子   2010.3,15記
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