坂本竜馬さんへ
私は、北海道の中央ぐらいに位置している浦臼町という町に住んでいる笹島知紗と言います。
社会の時間に坂本竜馬についていろいろ教わったことなどを手紙に書きました。
社会の時間に学習したことは、長州藩と薩摩藩を結びつけ、幕府をたおすということを学びました。私は仲の悪かった2つの藩を結びつけるということは、とても勇気のある人だな~と思いました。
私が住んでいる浦臼町と龍馬家のつながりは、坂本竜馬のおいの墓があるそうです。あと、私が通っている浦臼小学校に坂本竜馬に一番似ているといわれている絵があります。
今、竜馬さんについてのテレビが放送されています。
それほど竜馬ブームなのです。私も少し竜馬さんについて興味をもちました。いろいろ質問しますがよろしくお願いします。
今、新しい車や新しい食べ物など、新しい物がたくさん発売されています。わたしはよく「新発売」と書かれていたら買います。坂本竜馬さんは新しいものが好きなんですよね。なら、どんな新しいものを考えたり、作ったりしますか。私はどんどん新しいものを作ってほしいです。
もし、坂本竜馬さんがこの世界にいたら、どんなことを思いますか。
私はもっと世界中のみんなが協力して平和で豊かな国にしなければならないと思います。
坂本竜馬さんは短い命でしたけど、新しいことに挑戦して、長州藩と薩摩藩を結びつけるということは、すごいことだと思います。まだやりたいことがあったと思いますが、これからもどんどん良い世界になってゆくと思います。
私も竜馬さんを見習って、勇気をもっていろんなことに挑戦していきたいです。
【龍馬返書】
お手紙ありがとう。あなたの住む町は、直寛・直一族が開拓に励んだ浦臼ですね。
その地に私の肖像画が有って、皆さんが私の事を勉強してくれていると知ってとても喜んでいます。
知紗さんが言う新発売とは、殆どの場合今迄の製品を一部改良したり、スタイルをかえての事を言っているのですよね。肝心なのは何かを初めて取り入れたりオリジナルなものを創造することだと思います。そんな感覚を知紗さんが身につけることを期待しています。
これからも世界がどんどん良くなっていくよう私も願い続けることを約束します。
龍馬さんをはじめて見た第一印象は、かみの毛がぼさぼさでびっくりしました。江戸時代の武士は、かみの毛がきちっとしているのに、武士にはみえないかみがたでした。ちょんまげじゃない龍馬さんは、あまりなにもしていないように感じました。
しかし、19歳で江戸に出て剣術の修行にはげみ、勝海舟に出会い、「外国のすぐれたとこは学ぶべきだ」という教えを聞いて海軍の所で中心になって、かつやくしたことに感動しました。
さらに、江戸幕府をたおして新しい政府を作ろうと薩長同盟を成立させました。
本で長い刀より短い刀を、次は短い刀よりピストルを、そして次は学問だという時代の先をかいてありました。
江戸の幕末といっても、まだまだ新しいことには挑戦しにくい時代だと思います。なのに時代の先を行く考えをもつなんて、すごいと思いました。
ぼくも龍馬さんのような考えをもつ人になりたいと思いました。
お手紙ありがとう。私のまことにむさくるしい外見のご指摘参りました。
しかし、人を姿形だけで判断しては事を誤りかねませんね。
私が世界の事に目を開かれたのは、やはり神戸の海軍塾での勉強、操練の賜物と思います。
敦也君も、学問を充分に尽くして、人生の航路を決定して下さい。
時代の先を見る事が出来る見識を見につけて下さい。
竜馬さんは色々すごいことをしたと学習しました。竜馬さんはすごいことをした人だけど少しぐらいは困ったり、悲しかったり、泣いたりしたことがありますか?そういう経験があるから、そこまですごいことができただと思います。
竜馬さんは新しい物が好きらしいですね。ぼくは、中古とかしか買ってもらえません。ぼくの予想ですが、昔はとても大変だったと思います。今はゲーム、エアコンなどがあります。今となってはとても便利な時代です。今の時代では、争いと言う言葉が消えつつあります。坂本竜馬さんの時代では争いはいたる所でやっていたと思います。しかし、まだ争いが完全に消えたわけではありません。坂本竜馬さんなら完全に争いを消すことができたかもしれません。
すこし話を変えますが、坂本竜馬さんは薩摩藩と長州藩を結びつけたそうですね。すごい仲の悪いのだからかなり結びつけるのに時間がかかったと思います。それを結び付けるなんて、やっぱり坂本竜馬さんはとてもすごい人だとつくづくおもいます。
さらに話はかわるのですが、どうして坂本竜馬さんにこの手紙を書いているかと言うと、ぼくたちと坂本竜馬さんは少しですが、つながりがあるのです。この浦臼町には坂本竜馬さんにかなり関係のある人のお墓があるからです。
ほかにも浦臼小学校には坂本竜馬さんの絵があります。その坂本竜馬さんの絵は、ぼくらの浦臼の宝物だと思います。これからも坂本竜馬さんのかかわりのある人の墓や坂本竜馬さんの絵をぼくたちは大切にずっと守っていきたいなと思います。
お手紙ありがとう。北海道は私が浪士達を連れて入植し、開拓を夢見た大地です。
拓也君の学校には私の肖像画があるそうですね。そして君はその絵をずっと守って行くと約束してくれました。ありがとう、よろしくお願いします。
拓也君は私に困ったことや、悲しかったことはなかったか聞いてくれました。きっと、人の気持ちが分かる優しい少年なんだ。君が気付いたように、薩摩と長州を連合させるという難事、私も無我夢中で取り組み、周りの人々の協力があってはじめて実現した訳です。その途中では、どうにもならない両者の言い分の違いにはほとほと困りぬいたり、一緒に苦労を重ねた同志が非業の最期を遂げるなど、はらわたの千切れるような悲しみに耐えなければなりませんでした。
平成の時代に生きる君たちは、まず恵まれた生活に感謝し、守り育ててくれるご両親とみどりの大地に感謝する気持ちを忘れないようにお願いしますよ。
龍馬さんは、いつも時代の先をよんでいたというのは、すごいなと感心しました。
私はお父さんと将棋をした時いつも負けてしまいます。するとお父さんはこう言います。
「先を読め」って。先をよむ事はすごく難しい事だし、私には、どういう意味か分かりません。だけどそれをしていた龍馬さんは、すごいと思います。
私も、これから先をよむ事を少しずつ理解し、最後は、自然に先をよめる龍馬さんのようになりたいです。
瀬川怜奈
お手紙ありがとう。まずは、書かれた文字の美しさと、作法に叶った原稿用紙の書き方に感服。お父さんとの将棋で、先を読めと教えられたことが、時代の流れを読む事に繋がると理解出来るだけでも、立派なものです。
勿論、私が自然に先を読むなど出来た訳ではありません。
大久保一翁様を始めとして、あらゆる新知識の方々をお訪ねして教えを乞いました。そして得た情報を基に、次に成すべき事を考えたのです。
はじめまして龍馬さん。私は北海道の札幌から1時間ぐらいのところにある浦臼町というところの浦臼小学校にいる6年生のやまだ夏奈です。
私は、社会の歴史で習った龍馬さんの印象が強かったです。なぜ印象が強かったのだというと、薩摩藩と長州藩を結び付けて江戸幕府をたおそうと考えたのが、勇気があってすごいなと思いました。
なぜかというと、龍馬さんがもしいなかったら、今は、株式会社がなかったかもしれないし、いつ龍馬さんが新婚旅行に行ったことも、龍馬さんがいなかったら、新婚旅行に行く人もいなかったかもしれません。だから、私はそんなところもすごいと思いました。
まだまだたくさん云いたい事はありますけど、あと一つだけ言いたいことを書きたいとおもいます。
実は今、日本全国で龍馬さんが流行っていてブームです。そこで今、テレビで龍馬さんの人生をえがいた大河ドラマの『龍馬伝』が放送されています。
それに、私達の小学校には龍馬さんの肖像画があります。なんと、その肖像画は日本で一番龍馬さんに似ているということで、いろんな所に貸したりしているそうです。
そんなつながりが龍馬さんとあるということは知らなかったので、知った時にとてもうれしかったです。そのつながりのおかげで私達は新聞におれたり、この手紙を書くこともできました。
最後に質問をしたいと思います。
まず、一つ目の質問は、株式会社を作ったきっかけは何ですか。二つ目の質問は最近龍馬さんが流行っていてブームですが、そのことについてどう思いますか。質問はこれでおわりにしたいと思います。
そして、この龍馬さんへの手紙を終わりにしたいとおもいます。
お手紙ありがとう。北海道は私が浪士達を連れて入植し、開拓を夢見た大地です。その地で、今は君達のような元気な子供たちが育つまでになったんですね。
朝日新聞に大きく写った写真は私も拝見しました。夏奈さんはどの位置にいましたか。
ところで、幕府は放っておいても斃れる所まで機能が麻痺していましたね。私はむしろそんな幕府を一度解体して、なお徳川を中心にした新しい政体を生みだすべく尽力したつもりです。夏奈さんが仰る最初の株式会社ということも、亀山社中が自立するために薩摩藩や有力商人達の助けを受けた形態が株式会社の魁(さきがけ)と言えないこともない程度のことです。ましてや、新婚旅行は交通機関の発達とともに自然と盛んになったに違いありません。
あなたの学校にある肖像画を通じて私の事を勉強し始めたとのことを知って、とても喜んでいます。これが、一時の流行でなく、何時までも続けて下さることを願っています。