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龍馬さんへの手紙
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Tue 17 , 11:39:05
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Tue 08 , 14:46:14
2009/12
    龍馬殿へ
1867年、龍馬逝く、33歳
おお、ちょうど百年後なのか。1967年、僕が二十歳で、田舎から単身で神戸に来たときのことだ。
それから42年間、僕は生きながらえてきた。
龍馬殿、君は、なぜ、そこまで人を惹きつけるのか。同じ一人の人間として、僕はなんと平凡な生き方をしてきたかと思う。
君は、・・・なんて軽々しく呼びかけることすらはばかれるほどの龍馬殿だ。だけれど、あえて「君は」と呼ばせてもらおう。
君は、高知県出身だ。そして徳川時代を終焉させた立役者の一人だ。
僕は、愛知県の出身だ。そうなのだ、徳川時代の開祖、家康の生誕地である。その三河地方の山村で生まれ育った僕にも、小さな覚悟を抱いて、神戸に来たのだ。それは、親から独立して、独りで生計を立て、少しでも「労働者の解放」の役に立ちたいと思っていた。
「明治維新」の原動力ともなった君の生き方は、日本の若者たちの心を揺さぶり続けた。でも僕は、これまで君を歴史上の人物としてしか見なかった。それは僕が、余りにも平凡な生き方をしてきたからだと思う。
僕が、高校生のとき、マルクスの「共産党宣言」を読み、少しは世の役に立ちたいと願ったこともある。
しかし、ソ連の誕生から崩壊までを目の前で見てしまったことが、平凡な生き方をした所以なのかもしれない。
それに加えて僕の凡才ぶりは宿命のようなものだ。
龍馬殿、君は類まれなる才能と機知に富んだ生き方をしたがゆえに、後世の人々の心のうちに生き続けている。
僕は、これからも無様な余生を送るだろう。君は、これからも世の中の推進役として、人々を鼓舞してゆくだろう。
君は、33歳という若さで命を絶たれたが、これからも色々な媒体によって蘇ることだろう。
しかし、僕は、龍馬殿を「神格化」だけはしたくないと思う。
だから、今まで失礼なことを書いたことを許していただきたい。

【龍馬返書】
ずいぶん苦労をされて、しかしご自分の歴史観をもって、懸命な努力を重ねられたのですね。
三河から神戸の地に根ずくうえでのいろんな出来事が想像できます。
自分をあまりに小さい存在と捉え過ぎてはなりません。あなたの大切な家族、友人がどれ程あなたを愛おしく思っておられることか。これからも、十分長生きして、世の変わりようを拙者にお知らせくだされたく。








CIMG0451A.jpg




















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Tue 08 , 00:09:54
2009/12
坂本龍馬 殿
 
享年33歳。余りにも早い死。襲撃した者をただ恨むのみ。貴殿は伏見寺田屋で伏見奉行所の取り方に襲撃され、その時重要書類を落とし幕府側に押さえられています。
寺田屋事件は、薩長同盟の翌日でしたね。日頃から貴殿の動静は一挙一動監視されていたのでしよう。然るに貴殿は土佐のおおらかさを余すところなく表に出され隠すことがなかった。幕府にとっては一番貴殿が生きていてはためにならぬと思ったのではないでしようか。それが近江屋で暗殺されることとなったかと?龍馬さん、貴殿を襲った賊は誰だったのですか。いろいろの説があるようですが小生には未だ理解しえません。貴殿が見た賊は誰だったのですか。教えてください。
神戸市在住65歳。
 
龍馬さん
 
伏見寺田屋には何度か訪問しました。この宿に滞在されていた時は、風呂には毎日入っていましたか。当時の風呂を使う習慣について教えてください。寺田屋さんは風呂はどのように沸かしていましたか。数年前に見られた外焚き式でしようか。それとも、沸かしたお湯を風呂に入れていたのでしようか。
高知出身・神戸在住
 
 坂本龍馬さん
 
土佐勤皇等には飽き足らず土佐藩を脱藩した龍馬さん。随分思い切ったことをされましたね。当時の藩の掟を考えると当然家族にも類が及ぶ事を承知されていましたか。
龍馬さんも偉かったけれど、ご家族がさらに偉かったように思われます。乙女姉さん、権平さんはどのような考えをお持ちだったと思われますか。教えてください。
脱藩する龍馬さんは手持ち資金はありましたか。当時の1両で独り身のあなたが普通の生活をした時は何日位生活できましたか。
神戸市在住 大の龍馬ファン

【龍馬返書】
メール第1号12月3日に最初の一通を頂いて、やり取りが始まりました。
なかなかの研究家と思われます。
いまの龍馬研究で定説とされていない問題点ばかりの質問を浴びせられています。
特に我が祖・津野氏に関しての質問には驚きました。この史実を御存じの方がおられようとは。
改めて、私の返事もUPいたします。
 
 
Mon 07 , 23:27:40
2009/12
 11月6日着・玉川成美様(神戸市北区・39歳)

「龍馬さんへの手紙」
龍馬さん、あなたは天才で偉大です。
江戸ー明治のうつる時代に、スケールの大きい仕事をして、時代と共に生き、時代と共に、流星の様に去りました。
ありがとうございました。
龍馬さん、あなたの命は永遠です。   (現文のママ)

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【龍馬返書】
嬉しかった。この龍馬甲子園2010の神戸新聞こうべ版記事掲載に応じて頂いた第一号のハガキです。本当に嬉しかった。私のことなど誰も覚えていなくて、手紙など一通もこないのではと内心考えておりました。文末に「皆様の発展と御多幸をお祈りします。」との添え書きに成美さんの優しさが垣間見えます。
本当にありがとうございます。

Sat 05 , 14:05:03
2009/12

 11月3日、やっとのことで龍馬甲子園2010「龍馬さんへの手紙・一筆啓上仕候」大募集開始の記事が神戸新聞こうべ版に掲載されての最大の反響は社団法人・神戸港振興協会の神戸海洋博物館さまからのコラボ提案でした。
12日博物館にお邪魔して、来年の9-10月あたりに「坂本龍馬と神戸」展を計画されていること。
それまでの間、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映に併せて、逐次企画を立てて行くに当たり、我が土陽会のテーマとする龍馬IN神戸・龍馬レターとのコラボも考えたいとの御意向を伺い、願ってもないことと協力を約してまいりました。CIMG0128A.jpg
その際、厚かましく館内に龍馬レター投稿用の龍馬ポストの設置をお願いしましたところ快諾を頂きました。
このポストを見つくろうのに時間がかかり、12月4日やっとのことで、写真のポストを一基と募集要項ビラ1000枚をお届けする事が出来ました。
振興会からは、森田部長さま・平山課長さま・山脇主査さまご対応下さり、アリバイ写真もいただきました。
このポストには、高知市上町にあります龍馬郵便局の本物のポスト。それも写真のように龍馬像とクジラが取り付けられたポストを模して写真を張り付けております。
神戸港開港142年との話を伺い、150年を迎えるころまでに、龍馬と神戸をもっと知らしめるべく協力を約したことでした。
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Sat 05 , 13:00:32
2009/12
龍馬甲子園2010「龍馬さんへの手紙・一筆啓上仕候」に寄稿・投稿して頂いたお手紙をこのブログに到着順に全てUPいたします。
11月1日を期して各所お願いのビラを配布、神戸新聞にも掲載され、手許に少ないながら手紙が寄せられております。
そこで、貴重な志を無駄にしないためにも、このブログを通じて皆様にお知らせすることにしました。
また、頂いた手紙には必ず龍馬さんからの感謝の返書が届きます。
どうか、ふるってご参加ください。
もちろん、文の上手下手、内容の如何は問いません。
あなたの龍馬さんへの一念、想いを書き綴って頂ければ。
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龍馬IN神戸をテーマに毎年イベントを実施。今回で第6回目を迎える。
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