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龍馬さんへの手紙
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Thu 16 , 07:49:58
2024/05
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Wed 27 , 15:14:52
2010/01
 一筆啓上仕候
龍馬さん、久しぶり、どうね元気ね。
私は、土佐のはちきんよ。一生縣命頑張りゆうけんど、ひとつちゃあ良うならんがよ。景気や、世の中が。
でも、今年は貴男の年よ。一年多いに盛り上げて高知を助けてや。
話は変わるけんど、長い間、桂浜で海をながめて立っているけんど、何か良い案が浮かんだら、こっそり私に教えてね。又、他県に脱藩して行くでしょうが、土佐の国に時々は帰って盛り上げてや。
「おまんら何をしようがなら」と言ってほしい、声が聞きたいです。
又、手紙を書きます。お忙しい事と思いますが、おたよりを待っています。
私の愛する龍馬様どうかお元気で。       かしこ

【龍馬返書】
やっとお国からの手紙が届いた。南国市のはちきんさん、ありがとう。
土佐の全国発信アドバイザーをやっちゅうが。ごくろうさま。
ところで、拙者はなにも好き好んで桂浜にたっちゅうわけではないがぜ。
心は日本国、いや世界中を飛び回って人々を勇気づけているつもりじゃ。
しかし、やはり日の本、日本の事が気にかかる。
なんとか国の形を私が思い描いた「船中八策」の理想に近づけんと願う毎日。
もっと、皆の気持ちを手紙に託して届けとうせ。どうか元気にお暮らしよ。
CIMG1196A.jpg
















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Sat 23 , 15:24:32
2010/01
今春、新聞記者として社会にデビューする木村裕太さんの手紙です。

拝啓
新春の候いかがお過ごし…
やつぱり辞めました(笑)なんか自分が書きたいことを素直に書けなくなる気がしたの
で、形式は用いないで思いを伝えさせてください。
昨年(2009年)の暮れに、龍馬さんの生まれ故郷の高知に行ってまいりました。これで
もう4回目。働き始める前になんとかもう一
度行きたいと思つていたので、それが叶つて
ほつといたしました。
自分は現在大学4年生で、この4月から新聞記者として働き始めます。よく何かを始め
るときの心境で「期待と不安が入り混じつた」っていう表現を聞きますけど、今の自分は
まさにその気持ち。どんな世界が待ち受けているのか、皆目見当がつきません。ただ、龍
馬さんが常々口にしていた「人は事を成すために生まれてきた」という言葉、これだけは
絶対に忘れずにいたいと思つています。
自分が龍馬さんを好きになったのは10年ほど前で、ちょうど小学6年生の頃でした。ガ
キは好きになったらとことんマネをするもので…
①片言の土佐弁を使い出す
(先生)「木村くん、何で宿題を忘れるの!」
(自分)「ごめんなさい先生、けんどわしゃあ物忘れがひどいきに、堪忍しとうせ」
② Tシャツの中で腕組み(←龍馬さんの写真をイメージして)
③ とりあえずそこらへんで立ち小便
④ とりあえず音を立てて放屁するよう心がける
同級生にからかわれようがお構いなし。ひでえなこりゃ。
でも、いつかは自分も龍馬さんのように何かでつかいことを成し遂げるんだという、根
拠のない自信はいつも頭の中にありました。というのも、自分の誕生日は12月25日。キ
リストっていう、外国ではあるけれど神様が生まれたという日に、自分は生まれたんです。
自分の名前には「祐」という字がありますが、この字には神様を助けるという意味が込め
られているそうで、そうした背景からこの自信が生まれたように思います。勝手に龍馬さ
んに自分を重ね合わせていたんです。
あれから年月が経つて社会人の仲間入りをすることになった今でも、この根拠のない自
信はしっかりと胸に刻まれています。自分に何ができるかはわかりません。でも、何かが
できると思つています。それが龍馬さんのように、歴史に名を残すほどの大仕事なのかも
しれないし、反対にほんの一部の人にしか知られないことなのかもしれないけれど、何か
ができる。そう思って、まずは新米らしくがむしゃらに毎日勉強です。
それと、高知に行くたびに思うことが「桂浜だけで腹いっぱい」。あの海を眺めているだ
けで、もうそれだけで高知に来たかいがあった、これを見るために高知に来たと思えてし
まうんですよ。大きな水平線を眺めているとなんだか心がスージと大きくなっていくのを
感じて、いつまでもそこに留まりたくなって、少し散歩するつもりが砂浜に腰を下ろして
しまう。そして観光客の方に写真撮影を頼まれる(笑)。あんなにすばらしいところに銅像
を建ててもらえるなんて、龍馬さんは幸せですね。「世界中であなたが立つ場所は、ここし
かないように思う」という司馬遼太郎さんの言葉は、桂浜の海を見た方のほとんどが理解
できるはずです。
今年2010年はテレビの大河ドラマというもので龍馬さんが題材になるのを中心に、日本
全国で龍馬さんの人気が高まりそうです。言い伝えられてきた話や今なお残る書物を頼り
に、大体の龍馬さんのイメージはもうすでに確立しているのですが、人それぞれで抱く「龍
馬像」は微妙に違ったりしていて、なんとも不思議です。「これがわしがかよ!」と言いた
くなる場面も少なからずあるとは思いますが、みんな龍馬さんが大好きだということに変
わりはありません。寛大な目で面白がりつつ見守ってください。
あと、もう10年以上念じているのですけど、そろそろ夢に出てきてくれませんか。未熟
な自分に一言、喝を入れてください。自分が生きているうちに会いたい人が、サンタクロ
ースつちゅう赤い服着たじいさんと、トトロっちゅう森の主と、そして龍馬さんなんです。
よろしくお願いします。
龍馬さんを好きになつてよかったし、龍馬さんから学ぶところも大きかった。そういっ
た意味では、自分は、龍馬さんに育てられました。本当にありがとうございました。これ
からも、自分なりにあなたの背中を追い続ける人生を送りたいと思います。
それでは、また。
木村 祐太

【龍馬返書】
その辺で立ちションを真似されるとは思いもかけませんでしたが、私が立ちションをやらかしたのは、もっぱら武市半平太宅でのこと。あまりにも頭が固いアギへのチョットしたからかいの意味でしたよ。
しかし、小学6年で私の目指した『人間は事を成すために生まれてきた』という心得を見事に看破され、今日まで人生の公法とされている由、感服いたしております。
その心意気を以て、新聞記者として十分の活躍を果たされんことを祈念いたします。
いや、貴殿はキット人々の役に立つ仕事をやり遂げられることでしょう。
若人のすがすがしいお手紙誠にありがとうございました。
 
Sat 16 , 14:51:57
2010/01
 やれ嬉、去年11月3日、京都での龍馬フォーラムでお会いして、早速無理なお願いをお聞き届け下すった、津市立栗真小学校中川三朗校長先生から、21通もの生徒さんからの手紙が届きました。
皆さん、お忙しいなか、書いて下すったこと心より感謝いたします。これも龍馬さんなればこそ。皆さんの熱い思いが必ず届きましょう。
早速UPしたいところですが、校長先生にご了承を得なければなりません。少々お待ち下さい。
CIMG4217A.jpgCIMG4220A.jpg






























Fri 11 , 16:26:17
2009/12
拝啓 坂本龍馬様
「坂本龍馬」、これは詩でもなければ旋律でもない、けれど名を聞くだけで、響きだすものが在るのです。
あなたが話した言葉というだけで、文字は声になって届くのです。
薩長同盟盟約を認めた裏書きの署名、朱の文字「龍」を私は何度もなぞり、あなたの溢れる感慨に想いを馳せました。そして私も、この時のあなたのような想いを胸に自分の名を刻む日を創りたいと願ってます。
大政奉還を見届けた三十三歳誕生日の夜、天命は成し遂げたとばかりに、あなたは逝った。
何とも鮮やかで惜しい最期でした。今も尚私たちは、あなたの人柄に親しみ、偉業を語り継いでいます。
たくさんの龍馬関連の行事をあなたはどうご覧になっているのでしょう。喩え世界中の誰かが百二十一歳まで生き、ギネスブックに載ったとしても、あなたの生き方の永さに匹敵すると思えないのです。
魂を羽ばたかせ、藩という枠を破り国という型を越え、漲る血潮ごと飛び切った、あなたの潔い覚悟と行動力は、澄み渡る青空を残し、私たちを勇気づけます。

今、あなたは誰を守り、何を考えておられますか。私たちは今こそ此処に「坂本龍馬」がいたら、そう考えるのです。
あなたはどんな洗濯をされるでしょう。どうすれば、あなたの大好きな海を守れるでしょう。
幸い、私の母がもうそちらに行っておりますので、一度ゆっくり会って下さいませんか。
きっと、母は心尽くしの手料理であなたをもてなすことでしょう。母は、あなたが私の憧れの人だということを承知していますし、私たち家族にもう一度美味しい食事の支度をしたいと申しておりました。そして、あなたの壮大な”CHANGE"を語って下さい。母は私に伝えてくれるでしょう。私が進退窮まった時、母は必ず夢の中で私にメッセージをくれるのです。
使命を持って生きなさいと伝えてくれたのも母でした。
坂本龍馬様、あなたの気付を、心待ちにしております。     2009年師走三日

ルミナリエの灯った神戸より   月+命  更紗
P.S  今年のルミナリエ・フロントーネ(正面デザイン)には、「記憶を巡る旅のはじまりを告げる光の扉」というメッセージが込められています。あなたをを巡る脱藩の道行き紀行は私たちにとって正しくこの光の扉になるでしょう。                     純子 五十三歳       

【龍馬返書】
珠玉のような手紙を頂いたというのが一読しての感想です。
敬愛する龍馬と最愛の母が天国で会って話をしてほしい。両方への想いの深さが本当に伝わってきます。
龍馬を語る娘の横顔を微笑みながら見詰めている。そんな親子の佇まい。素敵ですね。
私もルミナリエ行ってまいりました。写真を添えておきます。
091204_195025A.jpg










Tue 08 , 14:46:14
2009/12
    龍馬殿へ
1867年、龍馬逝く、33歳
おお、ちょうど百年後なのか。1967年、僕が二十歳で、田舎から単身で神戸に来たときのことだ。
それから42年間、僕は生きながらえてきた。
龍馬殿、君は、なぜ、そこまで人を惹きつけるのか。同じ一人の人間として、僕はなんと平凡な生き方をしてきたかと思う。
君は、・・・なんて軽々しく呼びかけることすらはばかれるほどの龍馬殿だ。だけれど、あえて「君は」と呼ばせてもらおう。
君は、高知県出身だ。そして徳川時代を終焉させた立役者の一人だ。
僕は、愛知県の出身だ。そうなのだ、徳川時代の開祖、家康の生誕地である。その三河地方の山村で生まれ育った僕にも、小さな覚悟を抱いて、神戸に来たのだ。それは、親から独立して、独りで生計を立て、少しでも「労働者の解放」の役に立ちたいと思っていた。
「明治維新」の原動力ともなった君の生き方は、日本の若者たちの心を揺さぶり続けた。でも僕は、これまで君を歴史上の人物としてしか見なかった。それは僕が、余りにも平凡な生き方をしてきたからだと思う。
僕が、高校生のとき、マルクスの「共産党宣言」を読み、少しは世の役に立ちたいと願ったこともある。
しかし、ソ連の誕生から崩壊までを目の前で見てしまったことが、平凡な生き方をした所以なのかもしれない。
それに加えて僕の凡才ぶりは宿命のようなものだ。
龍馬殿、君は類まれなる才能と機知に富んだ生き方をしたがゆえに、後世の人々の心のうちに生き続けている。
僕は、これからも無様な余生を送るだろう。君は、これからも世の中の推進役として、人々を鼓舞してゆくだろう。
君は、33歳という若さで命を絶たれたが、これからも色々な媒体によって蘇ることだろう。
しかし、僕は、龍馬殿を「神格化」だけはしたくないと思う。
だから、今まで失礼なことを書いたことを許していただきたい。

【龍馬返書】
ずいぶん苦労をされて、しかしご自分の歴史観をもって、懸命な努力を重ねられたのですね。
三河から神戸の地に根ずくうえでのいろんな出来事が想像できます。
自分をあまりに小さい存在と捉え過ぎてはなりません。あなたの大切な家族、友人がどれ程あなたを愛おしく思っておられることか。これからも、十分長生きして、世の変わりようを拙者にお知らせくだされたく。








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神戸高知県人土陽会・龍馬甲子園2010実行委員会
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龍馬IN神戸をテーマに毎年イベントを実施。今回で第6回目を迎える。
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