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龍馬さんへの手紙
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Thu 11 , 23:36:53
2010/03
一筆啓上仕候
お茶目で「我がまま」「土佐のいごっそう」の龍馬さん。
このような土佐人の特徴を身に付けていた龍馬さん。
しかし、龍馬さんは一つだけ決定的に違っていた。 それは「精神の近代性」を身に付けておられたと聞いています。
龍馬さんは大政奉避の後、西郊隆盛や桂小五郎から明治政府の内閣入りを打診されましたが、『変えた人間は入るべきではない。それよりも海援隊を使って世界と交易するのだ』と言って御自分の信念を曲げられませんでしたね。自らの損得も権力も関係なく純粋に仕事を楽しまれました。
御自身の名前は決して入れず、残さず、その偉業が日の目を浴びる段になると名声を他に譲る、この精神こそがお茶目な寵馬さんのいごっそうなところなのです。

土佐では加尾さん、江戸では千葉道場の佐那さん、京都では妻となるお龍さんと,その他には、神戸の福原、平野でも飲み歩き、お茶目な龍馬さんは随分ともてましたね。
佐那さんとは結ばれませんでしたが、山梨・甲府の古寺にある佐那さんの墓石の裏には、龍馬さんの華を意味する「坂本龍馬室」の文字が刻まれているそうですね。
やはり龍馬さんは英雄です。英雄は色を好むのです。 お茶目だからこそ難題だつた薩長同盟を成し遂げられたのでしよう。長州も薩摩もなく「まっこと日本全体の為に」の「進取の精神」がありました。

現代は平成維新と言われていますが、我が国を導く政治家で龍馬さんのように「業半ばで斃れても良い。その時は目標の方角に向かい、その姿勢で斃れよ。」の精神を持つリーダーが現れることを待っている今日この頃です。                              高橋 直明 
【龍馬返書】
高橋さん待ちよったぜ。締め切りが迫り、今日明日にも電話して忘れてはいませんかとお願いをするつもりでしたが、夜半いきなり携帯で「誰か分かるかよ」とのお茶目な声。メールが具合い良くないのでFAXで手紙を届けたと嬉しいお話だ。早速龍馬ブログにUPしました。
さて、当時私達が何処まで日本を意識していたか考えてみますと、誠に微妙であります。
国と言えば藩のことで、むしろ日本の民、この那、山河全てを含む日本全体が異国の脅威に晒されることへの
恐れを何処まで意識するか、しないかで、攘夷・開国・勤王・佐幕というそれぞれの立ち位置が決まって行ったように思います。
仰るように業半ばで勇ましく斃れた事を今思えば、もっと用心をして、あの時のタイミングで命を失うと言うことだけは避けるべきであったと悔やんでいます。
というのも、少なくとも、明日の日本の設計図を書く人物がいない中、羅針盤なしで大海原に乗りだすようなことだけはさせたくなかったからです。

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