龍馬さんへの手紙
Mon 22 , 15:27:37
2010/02
拝啓 龍馬さんへ
龍馬さんが見とれた黒船はそんなにもすごかったですか?
そんなにも異国はすばらしい文化だったのですか。
私も龍馬さんが土佐から江戸に何かを求めて旅にでたように、旅に出ようと思います。
その中で、龍馬さんは自分を見つけ、異国の文化に興味をいだいたように、私も旅により、自分とは何かを見つけ、
自分は何のために生まれたのかを見つけたいと思います。
がんばるので、どうか天国で応援して下さい。 曽 龍平
【龍馬返書】
龍平君。同じ龍の字の付く名前の君に、とても親しみを感じています。
確かに、黒船は凄いの一言だったね。もちろん近くで見ることは叶わなかったが、土佐藩品川下屋敷での警護の役のあいだは、それはそれは一大事出来で天地がひっくり返ったような騒ぎとなった。
それ以来、この日本がどうなるか考え続けた毎日だった。
旅は良いぞ。たとえば海舟先生からの伝言を預かって松平春嶽公のもとへ参上する際、大坂より福井までの道中、この伝言をどう的確に伝えることが出来るか、考え続けるわけだ。もちろん、事の本質が理解できていなかったら、ただのオウムがものを言っていると同じ事になる。歩きながら、ひたすら考える。するとj自分なりの意見・理解が出来るようになるわけだ。今のように、交通手段・通信手段が発達し過ぎるのも、善し悪しと思います。
どうか龍平君の旅を続けて下さい。きっと素晴らしい仕事が出来るに違いありません。
人間何事か成すために生まれてきているのだから。
なお、私は天国になど居なくて、常に君たちのような若者の傍に居ることを忘れないで下さい。
龍馬さんが見とれた黒船はそんなにもすごかったですか?
そんなにも異国はすばらしい文化だったのですか。
私も龍馬さんが土佐から江戸に何かを求めて旅にでたように、旅に出ようと思います。
その中で、龍馬さんは自分を見つけ、異国の文化に興味をいだいたように、私も旅により、自分とは何かを見つけ、
自分は何のために生まれたのかを見つけたいと思います。
がんばるので、どうか天国で応援して下さい。 曽 龍平
【龍馬返書】
龍平君。同じ龍の字の付く名前の君に、とても親しみを感じています。
確かに、黒船は凄いの一言だったね。もちろん近くで見ることは叶わなかったが、土佐藩品川下屋敷での警護の役のあいだは、それはそれは一大事出来で天地がひっくり返ったような騒ぎとなった。
それ以来、この日本がどうなるか考え続けた毎日だった。
旅は良いぞ。たとえば海舟先生からの伝言を預かって松平春嶽公のもとへ参上する際、大坂より福井までの道中、この伝言をどう的確に伝えることが出来るか、考え続けるわけだ。もちろん、事の本質が理解できていなかったら、ただのオウムがものを言っていると同じ事になる。歩きながら、ひたすら考える。するとj自分なりの意見・理解が出来るようになるわけだ。今のように、交通手段・通信手段が発達し過ぎるのも、善し悪しと思います。
どうか龍平君の旅を続けて下さい。きっと素晴らしい仕事が出来るに違いありません。
人間何事か成すために生まれてきているのだから。
なお、私は天国になど居なくて、常に君たちのような若者の傍に居ることを忘れないで下さい。
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Sat 20 , 15:54:52
2010/02
龍馬さん
拝啓 あなたの翔けた時代は、日本人が日本人たるべきであろうと、歴史上に大きなうねりが 湧き起こつた激動の幕末でした。 とかく組織の硬直化や向上心の欠如が見られ、自分で行動することができなくなった現在の日本社会や日本人を龍馬さんはどのように眺めているのでしょう。
龍馬さんの写真はいつも目を細め、遠くを眺めていますよね。生まれ育った黒潮洗う土 佐の海、海に開花した神戸海軍塾での波穏やかな神戸の海、唯一世界に開かれた長崎の海でしょうか、いやそんな地域的な海ではなく、全地球を占める母なる「海」そのものを見つめているのだろうと思います。
あなたが抱いた新政府誕生と海運起業の大きな二つの夢を、海をキャンバスに描き、実 行した力はいつまでも私たちの憧れとともに心に残るものです。
龍馬さんの人生最後の5年間、飛ぶが如く日本を縦横無尽に駆け巡られ行き着いたとこ ろは何処だったのか? ある方から、龍馬さんが早く逝かれたので、大きな功績に傷もつかず歴史に名を残すこ とができたのだろうとお聞きした。
確かにそうかも知れません。龍馬さんの性格が垣間見られる多くの書簡から、人間味溢 れる姿が読み取れます(すみません私信を盗み読みしました。・・)ので、清廉潔白な龍 馬さんはどこか似合わない。清濁併せ呑む龍馬さんが本物だと信じます。
もつと存命していてほしかつた。
明治新政府の方向性を明確にしてほしかった。
若くして、夢半ばにして散った龍馬さん。今は海援隊の仲間と楽しく昔話をしているこ とと思います。
あなたの夢は受け継がれ、それなりの形として残りましたが、龍馬さんが描いた夢とは似て異なるものじゃないでしょうか。
教えてください、今の日本の姿が、日本人が正しいかどうかを・・・ 敬具
【龍馬返書】
ヤマト様、中々の歴史知識をお持ちのようで、感服いたしました。また、その歴史認識も素晴らしい。
私が懸命に生きた時代が歴史になるとは。なにせ無我夢中のことでござれば、あれこれ迷い、試行錯誤している暇もない疾風怒涛を何とか乗り切らんとの所存で有りましたが、何者かに、といっても拙者は其の者を目にしているわけで、お伝えできないのが誠に残念。それ故、私が本当に伝え遺したかった事毎もよう伝えずになっています。しかし、時代に翻弄されるのは、何時の時代でも同じこと。私の生きざまに倣って雄々しく時代の先を洞察し、指し示す人物の出現を待っています。そうあなたがその人かも知れませんね。
拝啓 あなたの翔けた時代は、日本人が日本人たるべきであろうと、歴史上に大きなうねりが 湧き起こつた激動の幕末でした。 とかく組織の硬直化や向上心の欠如が見られ、自分で行動することができなくなった現在の日本社会や日本人を龍馬さんはどのように眺めているのでしょう。
龍馬さんの写真はいつも目を細め、遠くを眺めていますよね。生まれ育った黒潮洗う土 佐の海、海に開花した神戸海軍塾での波穏やかな神戸の海、唯一世界に開かれた長崎の海でしょうか、いやそんな地域的な海ではなく、全地球を占める母なる「海」そのものを見つめているのだろうと思います。
あなたが抱いた新政府誕生と海運起業の大きな二つの夢を、海をキャンバスに描き、実 行した力はいつまでも私たちの憧れとともに心に残るものです。
龍馬さんの人生最後の5年間、飛ぶが如く日本を縦横無尽に駆け巡られ行き着いたとこ ろは何処だったのか? ある方から、龍馬さんが早く逝かれたので、大きな功績に傷もつかず歴史に名を残すこ とができたのだろうとお聞きした。
確かにそうかも知れません。龍馬さんの性格が垣間見られる多くの書簡から、人間味溢 れる姿が読み取れます(すみません私信を盗み読みしました。・・)ので、清廉潔白な龍 馬さんはどこか似合わない。清濁併せ呑む龍馬さんが本物だと信じます。
もつと存命していてほしかつた。
明治新政府の方向性を明確にしてほしかった。
若くして、夢半ばにして散った龍馬さん。今は海援隊の仲間と楽しく昔話をしているこ とと思います。
あなたの夢は受け継がれ、それなりの形として残りましたが、龍馬さんが描いた夢とは似て異なるものじゃないでしょうか。
教えてください、今の日本の姿が、日本人が正しいかどうかを・・・ 敬具
【龍馬返書】
ヤマト様、中々の歴史知識をお持ちのようで、感服いたしました。また、その歴史認識も素晴らしい。
私が懸命に生きた時代が歴史になるとは。なにせ無我夢中のことでござれば、あれこれ迷い、試行錯誤している暇もない疾風怒涛を何とか乗り切らんとの所存で有りましたが、何者かに、といっても拙者は其の者を目にしているわけで、お伝えできないのが誠に残念。それ故、私が本当に伝え遺したかった事毎もよう伝えずになっています。しかし、時代に翻弄されるのは、何時の時代でも同じこと。私の生きざまに倣って雄々しく時代の先を洞察し、指し示す人物の出現を待っています。そうあなたがその人かも知れませんね。
Tue 02 , 23:35:18
2010/02
(1) 龍馬さんへ
もしかしたら みんなあなたに惹かれるのは・・・
もしかしたら あなたを見つめる私達の目は・・・
龍馬さん
私達はあなたの目の先にある大きな大きな世界をあなたの横に立って、一緒に目ているんじゃないか、て思うんだ。
(2) 龍馬さんへ
龍馬さんのことはよく知らないけれど。
同郷の私はあなたを誇りに思ってる。
あなたは多くの人に好かれて、多くの人の心を開かせたから。
つまづいて、失敗した時、あなたを思うと、あなたならきっと、どんな時でも他人には、つらい表情を見せないんじゃないかって。
そう思ったら、私も頑張らないとって思えてくる。
ありがとね。
私の心の中でいつも遠くの空を見つめている。
あなたは龍馬さん。
Sat 30 , 15:02:27
2010/01
龍馬さんへの手紙 一般の部 大森 尚
拝啓 坂本龍馬さま。私はあなたが塾頭をなさっていた海軍操練所のあった神戸で育ちました。神戸ではあなたの縁戚にあたる土居晴夫さんがあなたと海軍操練所時代のことを書かれていてあなたにたいして格別の思いを抱いている人も少なくはありません。その仲間内でもあなたの人気の秘密はどこにあるのかという話になるとはっきりした答えはでていません。維新の英雄だった西郷隆盛とともにその悲劇的な最後にあつたとする意見に落ち着きます。
西郷さんとあなたのお二人はお互いに認め合った間柄で、薩長同盟という破天荒な事業を共にされましたが、その生き様は同じではありません。西郷さんは革命家として権謀術策を弄し維新の大業を成就させましたが、その根底を流れるものが儒学的、農本的であったためか、日本の近代化に逆行する反革命のシンボルとして城山に敗死しました。西郷さんはあなたと同じ大男でありましたが、あなたが北辰一刀流奥義を究めたのに対し西郷さんは剣の道はまったくだめでした。大久保利通が膨大な日記を書き、あなたがあの有名な「船中八策」や数多くの長文の手紙を残し、その考え方がわかるのに、西郷さんの漢詩や語録からは彼が幕府を倒したのち、どんな国のありようを考えていたのか伝わってこないのです。ただ興味があるのは西郷さんも大久保利通も艶めいた話が無いのに桂小五郎(木戸孝允)には幾松、あなたには千葉さな、おりようさんがいるように女性にもてていました。西郷さんは薩南健児一万有余人を平気で死地に赴かせたという神に近い人間力がありましたし、あなたも武市半平太を簾磨なく刑殺した山内容堂に何度も脱藩の罪を許されていますし、それが一介の浪士、それも下級武士ならぬ土佐の郷士に過ぎないあなたを徳川家門筆頭の越前藩主松平春嶽がその異才を認めたうえでの斡旋によるものとすれば、幕府の実力者勝海舟との交流を含めて、あなたは西郷さん以上の人証しの名人だったといえます。あなたは「船中八策」で律令政治の基本、天皇の下に大政官を設け、人省を置くほか、上下二院からなる議会政治と、強力な海軍力による国防、それが担保する諸外国との平等な条約のもとでの外交など、今日の「国のかたち」を明隙に打ち出しておられます。 一方長崎のグラバー商会の代理人として武器の輸入をおこなう貿易商社、亀出社中のオーナーでもありました。この足場があつたればこそ薩長同盟が成立したのでしよう。
ところで坂本龍馬さま、あなたが慶応三年十一月十五日、近江屋で暗殺され、三十一歳の生涯を閉じることなくご存命であれば明治維新の形はずいぶん違ったものになっていたと思いますが如何でしょうか。あなたの「船中八策」は後藤象二郎を通じて出内容量を動かし、大政奉還という大事業を成し遂げました。徳川慶喜に政権を投げ出させることによって無血革命は成就し、徳川慶喜を首班とし、大名・公家の上院、諸藩の有識者による下院という構図ができていてもおかしくありません。ところが現実は戊辰戦争という革命戦、西南戦争という反革命戦の二つの内戦を経験しました。大刀より拳銃、拳銃より万国公法を大事にされたあなたは革命戦にはむしろ邪魔な存在になり佐幕派よりは倒幕派に狙われる存在になりつつあったと思えてならないのです。暗殺の危機を乗り越えて無事維新を迎えられたとしたら、あなたはどうなさっていたでしょうか。
これからはまつたく私の想像です。大政奉選により無血革命が成就し、版籍奉還、廃藩置県が無事おこなわれ、中央集権による近代国家の骨格ができつつあるなか、西郷さんは鹿児島に隠退し、本戸孝允は内閣顧間で評論家的存在、徳川慶喜の上院議長、板垣退助の下院議長、政府は三傑実美、岩倉具視を首班とし、大久保利通、伊藤博文などによる有司専制の体制がしかれ、それからはみ出したあなたはかって尊壊過激派の浪士たちを蝦夷地に移住させようとした延長線上に、長崎を拠点とし、北海道、樺太に入植させた不平士族による開拓の成果を物流させ、北海油田を開発し、もしかしてアラスカまでも買収して、グローバルな汎太平洋的な商圏を構築する、この話はロシヤの南進を危慎し、士族救済の道を探つていた西郷さんの理解をえてより強固なものとなっていった、こんな想像はどうでしようか。
いま日本の政治は自民党の失政に飽いた国民は民主党政権を選びましたが、鳩出首相、小沢幹事長の政治と金の問題、普天聞移転にからむ基地問題、出日の見えないデフレスパイバルによって失望し、正直政界再編を望んでいます。かってあなたの成し遂げた薩長同盟のようなことができないかを願っていますが、私はあなたの出番としては小さ過ぎると思っています。いまの日本はあなたの時代のような沸点に達する若者のエネルギーはありません。あなたのような突拍子のない若者が育つ土壌ない以上、あなたは歴史上の人物で現代に通じるモデルでないことは確かと申し上げて終わりにします。桜の咲くころ京都、霊山のあなたのお墓参りをしたいと思っています。いまからそれまでの日本の政治の成り行きををご報告いたいので楽しみに待っていてください。 敬具
拝啓 坂本龍馬さま。私はあなたが塾頭をなさっていた海軍操練所のあった神戸で育ちました。神戸ではあなたの縁戚にあたる土居晴夫さんがあなたと海軍操練所時代のことを書かれていてあなたにたいして格別の思いを抱いている人も少なくはありません。その仲間内でもあなたの人気の秘密はどこにあるのかという話になるとはっきりした答えはでていません。維新の英雄だった西郷隆盛とともにその悲劇的な最後にあつたとする意見に落ち着きます。
西郷さんとあなたのお二人はお互いに認め合った間柄で、薩長同盟という破天荒な事業を共にされましたが、その生き様は同じではありません。西郷さんは革命家として権謀術策を弄し維新の大業を成就させましたが、その根底を流れるものが儒学的、農本的であったためか、日本の近代化に逆行する反革命のシンボルとして城山に敗死しました。西郷さんはあなたと同じ大男でありましたが、あなたが北辰一刀流奥義を究めたのに対し西郷さんは剣の道はまったくだめでした。大久保利通が膨大な日記を書き、あなたがあの有名な「船中八策」や数多くの長文の手紙を残し、その考え方がわかるのに、西郷さんの漢詩や語録からは彼が幕府を倒したのち、どんな国のありようを考えていたのか伝わってこないのです。ただ興味があるのは西郷さんも大久保利通も艶めいた話が無いのに桂小五郎(木戸孝允)には幾松、あなたには千葉さな、おりようさんがいるように女性にもてていました。西郷さんは薩南健児一万有余人を平気で死地に赴かせたという神に近い人間力がありましたし、あなたも武市半平太を簾磨なく刑殺した山内容堂に何度も脱藩の罪を許されていますし、それが一介の浪士、それも下級武士ならぬ土佐の郷士に過ぎないあなたを徳川家門筆頭の越前藩主松平春嶽がその異才を認めたうえでの斡旋によるものとすれば、幕府の実力者勝海舟との交流を含めて、あなたは西郷さん以上の人証しの名人だったといえます。あなたは「船中八策」で律令政治の基本、天皇の下に大政官を設け、人省を置くほか、上下二院からなる議会政治と、強力な海軍力による国防、それが担保する諸外国との平等な条約のもとでの外交など、今日の「国のかたち」を明隙に打ち出しておられます。 一方長崎のグラバー商会の代理人として武器の輸入をおこなう貿易商社、亀出社中のオーナーでもありました。この足場があつたればこそ薩長同盟が成立したのでしよう。
ところで坂本龍馬さま、あなたが慶応三年十一月十五日、近江屋で暗殺され、三十一歳の生涯を閉じることなくご存命であれば明治維新の形はずいぶん違ったものになっていたと思いますが如何でしょうか。あなたの「船中八策」は後藤象二郎を通じて出内容量を動かし、大政奉還という大事業を成し遂げました。徳川慶喜に政権を投げ出させることによって無血革命は成就し、徳川慶喜を首班とし、大名・公家の上院、諸藩の有識者による下院という構図ができていてもおかしくありません。ところが現実は戊辰戦争という革命戦、西南戦争という反革命戦の二つの内戦を経験しました。大刀より拳銃、拳銃より万国公法を大事にされたあなたは革命戦にはむしろ邪魔な存在になり佐幕派よりは倒幕派に狙われる存在になりつつあったと思えてならないのです。暗殺の危機を乗り越えて無事維新を迎えられたとしたら、あなたはどうなさっていたでしょうか。
これからはまつたく私の想像です。大政奉選により無血革命が成就し、版籍奉還、廃藩置県が無事おこなわれ、中央集権による近代国家の骨格ができつつあるなか、西郷さんは鹿児島に隠退し、本戸孝允は内閣顧間で評論家的存在、徳川慶喜の上院議長、板垣退助の下院議長、政府は三傑実美、岩倉具視を首班とし、大久保利通、伊藤博文などによる有司専制の体制がしかれ、それからはみ出したあなたはかって尊壊過激派の浪士たちを蝦夷地に移住させようとした延長線上に、長崎を拠点とし、北海道、樺太に入植させた不平士族による開拓の成果を物流させ、北海油田を開発し、もしかしてアラスカまでも買収して、グローバルな汎太平洋的な商圏を構築する、この話はロシヤの南進を危慎し、士族救済の道を探つていた西郷さんの理解をえてより強固なものとなっていった、こんな想像はどうでしようか。
いま日本の政治は自民党の失政に飽いた国民は民主党政権を選びましたが、鳩出首相、小沢幹事長の政治と金の問題、普天聞移転にからむ基地問題、出日の見えないデフレスパイバルによって失望し、正直政界再編を望んでいます。かってあなたの成し遂げた薩長同盟のようなことができないかを願っていますが、私はあなたの出番としては小さ過ぎると思っています。いまの日本はあなたの時代のような沸点に達する若者のエネルギーはありません。あなたのような突拍子のない若者が育つ土壌ない以上、あなたは歴史上の人物で現代に通じるモデルでないことは確かと申し上げて終わりにします。桜の咲くころ京都、霊山のあなたのお墓参りをしたいと思っています。いまからそれまでの日本の政治の成り行きををご報告いたいので楽しみに待っていてください。 敬具
【龍馬返書】
誠に広範な知識と見識溢れるお手紙を頂戴いたしました。私が我が道を模索する上で一番励み学んだ地である神戸よりの手紙とあらば、感激一入です。
ところで、西郷どんに色めいた話がなかったわけではなく、京にてなかなか巨体の贔屓がいたことをお伝えします。また、よかにせどんを数多道ずれにしたような西南戦争が、結局は維新による士族の憤懣のガス抜きになる結果に終わったことは、いろいろ考えさせられます。
それよりも、貴殿ご指摘の、蝦夷が島開拓の一点面白く読ませテ頂きました。私の後、幕府艦隊を率いる榎本武揚君たちが北辰共和国設立を夢見て大いに奮闘してくれましたが、ご指摘のとうり、北海道に止まらず、樺太。アリューシャン、アラスカまで視野に入れての開拓をやっておけば、あの悲惨な支那事変・太平洋戦争の悲劇を生まずに済んでいたかも知れませんね。貴重なご指摘有難くお受けいたしました。
Wed 27 , 15:14:52
2010/01
一筆啓上仕候
龍馬さん、久しぶり、どうね元気ね。
私は、土佐のはちきんよ。一生縣命頑張りゆうけんど、ひとつちゃあ良うならんがよ。景気や、世の中が。
でも、今年は貴男の年よ。一年多いに盛り上げて高知を助けてや。
話は変わるけんど、長い間、桂浜で海をながめて立っているけんど、何か良い案が浮かんだら、こっそり私に教えてね。又、他県に脱藩して行くでしょうが、土佐の国に時々は帰って盛り上げてや。
「おまんら何をしようがなら」と言ってほしい、声が聞きたいです。
又、手紙を書きます。お忙しい事と思いますが、おたよりを待っています。
私の愛する龍馬様どうかお元気で。 かしこ
【龍馬返書】
やっとお国からの手紙が届いた。南国市のはちきんさん、ありがとう。
土佐の全国発信アドバイザーをやっちゅうが。ごくろうさま。
ところで、拙者はなにも好き好んで桂浜にたっちゅうわけではないがぜ。
心は日本国、いや世界中を飛び回って人々を勇気づけているつもりじゃ。
しかし、やはり日の本、日本の事が気にかかる。
なんとか国の形を私が思い描いた「船中八策」の理想に近づけんと願う毎日。
もっと、皆の気持ちを手紙に託して届けとうせ。どうか元気にお暮らしよ。

龍馬さん、久しぶり、どうね元気ね。
私は、土佐のはちきんよ。一生縣命頑張りゆうけんど、ひとつちゃあ良うならんがよ。景気や、世の中が。
でも、今年は貴男の年よ。一年多いに盛り上げて高知を助けてや。
話は変わるけんど、長い間、桂浜で海をながめて立っているけんど、何か良い案が浮かんだら、こっそり私に教えてね。又、他県に脱藩して行くでしょうが、土佐の国に時々は帰って盛り上げてや。
「おまんら何をしようがなら」と言ってほしい、声が聞きたいです。
又、手紙を書きます。お忙しい事と思いますが、おたよりを待っています。
私の愛する龍馬様どうかお元気で。 かしこ
【龍馬返書】
やっとお国からの手紙が届いた。南国市のはちきんさん、ありがとう。
土佐の全国発信アドバイザーをやっちゅうが。ごくろうさま。
ところで、拙者はなにも好き好んで桂浜にたっちゅうわけではないがぜ。
心は日本国、いや世界中を飛び回って人々を勇気づけているつもりじゃ。
しかし、やはり日の本、日本の事が気にかかる。
なんとか国の形を私が思い描いた「船中八策」の理想に近づけんと願う毎日。
もっと、皆の気持ちを手紙に託して届けとうせ。どうか元気にお暮らしよ。