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龍馬さんへの手紙
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Wed 15 , 20:37:47
2024/05
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Sun 07 , 00:47:31
2010/03
 拝啓 龍馬様 初めてお便りいたします。
TVでの龍馬様の最近のご活躍を拝見するにつけ、思い出すことがあります。
今から30年程前のことです。北大阪方面のK研究所という所に仕事の都合で訪問いたしました。K研究所は土佐発祥で、今では日本国一円に事業展開されている教育関連の企業様です。
その折 ご対応頂いた先方様のお名前がタケチ様 土佐発祥のK研究所のタケチ様・・
もしや・・と思い お訊ねしましたところ 「はい そのつながりのものです」というお答え本当に驚きました。
TVでの半平太様は、いごっそう気質を存分に発揮の熱血漢。片や先のお方は、実にソフトで穏やかな紳士でした。
時も移り 時代も変わるとDNAも少しく変わっていくということでしょうか。
龍馬様もご存じないことと存じますので 時代を超えてご報告方々筆をとらせていただきました。
それでは 引き続いての龍馬様の益々のご活躍を祈念申し上げます
                             敬具  KUROKAWA


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Fri 15 , 21:32:38
2010/01

             夢ー龍馬さんは生きていた
 

一般的には龍馬は19671115日京都近江屋で京都見回組佐々木唯三郎に殺害されたことになっているが、実は、龍馬は死なずにその後、発生した諸々の重大政策・事件に係っていた。龍馬さんから直接、又は関係者から聞き取れてないが、その一部に触れてみよう。

 

1867年 大政奉還  内紛を防ぎ、諸外国の介入をさせずに11月平和裏に政権移譲 新政府構想を建白、参議に推薦されるが、そのような堅苦しい者にはならんぜと断る。

   勝海舟 ジョン万次郎より教唆され自由国家構想アメリカの大統領構想を提出する、が時期尚早となる。他閣僚は龍馬の構想には、頭が回らず着いていけなかった。

   没後150年を経るが、大統領構想は日本では未だ熟さず。

1868年 五ヶ条の御誓文が公布される。ご存知の如く龍馬案が根底にあった。

戊辰戦争は、食い止めることができなかったが、土佐出身の官軍幹部には、日本

人同士の殺生は控えよと厳命していた。

1869年 版籍奉還  諸大名から天皇に領地領民を返還させる統一国家形成構想は既に龍

馬が企てており四藩主もそれを率先し実行した。

    龍馬は亀山社中を世界の貿易会社に発展させたいと願い貿易業を見事に活かし、1886年武器購入・調達により薩長同盟を図った。一方、土佐藩を利用した岩崎弥太郎が1869年、九十九商会(後の三菱商会)を設立し海運業を行い、龍馬と日本の海運業の基礎を作り上げた。

1871年 廃藩置県 藩とかちっぽけなことは言うなよ。

1873年 徴兵制の布告 征韓論おこる

龍馬は富国強兵論者であった。貿易で国に富を、富を活用し国力拡充 海外進出。

1877年 西南戦争を批判  西郷と大久保の対立を非難 なぜ権力闘争をするがかや

1881年 板垣退助が龍馬に師事し、高知に立志社・自由党を結成 自由は土佐の山間より

1894年 日清戦争勃発  朝鮮半島をめぐり近代国家を目指す日本と清国との全面戦争

1904年 朝鮮と満州をめぐる日露戦争

    海軍の祖として、世界の海を自由に航海し海域を把握しており、秋山真之と共同作戦を練り、バルチック艦隊の撃沈案を計画。昭憲皇太后の夢の中に白袴姿でなく海軍服姿の龍馬が登場したと言われる。

幕末から明治と言う統一国家を形成すべき時期を75歳まで生きた龍馬。33歳以降は直接表に出ることはなく、常に日本の名参謀として近代国家建設に知力と人脈、情報網を駆使しその生命を全うされ、ふるさと、高知より天に召された龍馬さん。

ふるさと、土佐の偉大な先輩を誇りに思います。

高知出身の龍馬さんを誇りに思う高齢者より。仮説 龍馬さんは生きていた

 

 

 


 

Tue 08 , 00:09:54
2009/12
坂本龍馬 殿
 
享年33歳。余りにも早い死。襲撃した者をただ恨むのみ。貴殿は伏見寺田屋で伏見奉行所の取り方に襲撃され、その時重要書類を落とし幕府側に押さえられています。
寺田屋事件は、薩長同盟の翌日でしたね。日頃から貴殿の動静は一挙一動監視されていたのでしよう。然るに貴殿は土佐のおおらかさを余すところなく表に出され隠すことがなかった。幕府にとっては一番貴殿が生きていてはためにならぬと思ったのではないでしようか。それが近江屋で暗殺されることとなったかと?龍馬さん、貴殿を襲った賊は誰だったのですか。いろいろの説があるようですが小生には未だ理解しえません。貴殿が見た賊は誰だったのですか。教えてください。
神戸市在住65歳。
 
龍馬さん
 
伏見寺田屋には何度か訪問しました。この宿に滞在されていた時は、風呂には毎日入っていましたか。当時の風呂を使う習慣について教えてください。寺田屋さんは風呂はどのように沸かしていましたか。数年前に見られた外焚き式でしようか。それとも、沸かしたお湯を風呂に入れていたのでしようか。
高知出身・神戸在住
 
 坂本龍馬さん
 
土佐勤皇等には飽き足らず土佐藩を脱藩した龍馬さん。随分思い切ったことをされましたね。当時の藩の掟を考えると当然家族にも類が及ぶ事を承知されていましたか。
龍馬さんも偉かったけれど、ご家族がさらに偉かったように思われます。乙女姉さん、権平さんはどのような考えをお持ちだったと思われますか。教えてください。
脱藩する龍馬さんは手持ち資金はありましたか。当時の1両で独り身のあなたが普通の生活をした時は何日位生活できましたか。
神戸市在住 大の龍馬ファン

【龍馬返書】
メール第1号12月3日に最初の一通を頂いて、やり取りが始まりました。
なかなかの研究家と思われます。
いまの龍馬研究で定説とされていない問題点ばかりの質問を浴びせられています。
特に我が祖・津野氏に関しての質問には驚きました。この史実を御存じの方がおられようとは。
改めて、私の返事もUPいたします。
 
 
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